2025.04.19 18:37【「日向・富高の一本松」検証その2:(江戸~明治期の富高を通る街道について)】●<富高の街道沿いに松並木があった話>(参考文献「日向市の歴史」ほか)さて、ここからは富高の松並木風景、そして一本松について見ていきます。昭和48年に日向市制二十周年記念誌として出された通史「日向市の歴史」の162ページに、富高を通る江戸時代の街道についての記載があり、そこに松並...
2025.04.16 12:24【「日向・富高の一本松」検証その1:前段(美々津町と門川町の松並木)】2025年3月15日頃より約一週間かけて、日向市・新町商店街のエリアでまだ街路樹の無かった本町(宮崎銀行~西の丸までの区間)の植樹がおこなわれました。日向椰子園さんの担当した駅前交差点周辺および上町からの流れで、この本町にもシマトネリコという植物が植えられました。これをもって、南...
2024.08.27 03:34【富高地域】豆腐店について<豆腐屋>【富高地域】「昔の人はなんでも自分で作った」と古老は語ります。豆腐もそのようです。豆腐を作る際に使う、大豆を挽く(ひく)ための道具「石臼(いしうす)」が、昭和初期ごろまでの富高地域の家庭には当然のように置いてあったといいます。しかし時代の流れと共に、豆腐は豆腐屋で買うよ...
2024.08.23 20:02【富高地域】地名の由来について地名の由来編(1)<「迎洋園」(げいようえん)>「迎洋園」一帯はもともと自然豊かな山でしたが、大正6年に福岡からやってきた綾部市太(あやべ・いつた)氏がそこを苗圃(びょうほ)として開拓、苗木の育成を始めました。ツツジを多く植栽したその山は、そのうち観光名所「あやべ迎洋園」となり、...
2024.07.31 08:25【ひょっとこ踊りの起源とその流れ(検証編)】<ひょっとこ踊りの起源とその流れ(検証編)>※注!):「検証編」と付いた項目は、ある程度の事実や定義された概念を元に、筆者が推測を交えつつまとめたテキストとなっています。よって必ずしも事実とは限りません。あくまでもひとつの捉え方として、ご笑覧いただければ幸いです。